|
2009-06-27 Sat 20:11
衆議院議員選挙が近づいて、タレント首長が言いたいほうだい。自らのまちづくりで理念や哲学を示すのが、首長の責任だと思うが。マスコミが面白さだけでもてはやすので、いささかやり放題気味。実績を積んでからだと思うけれど、どうだろうか。何をやってもマスコミが支えてくれるという甘えを感じる。まじめに取り組んでいる首長が気の毒。
|
|
2009-05-17 Sun 19:42
石川県民は保守的とよく言われますが、そのせいか、県も多くの市町村でも多選がまかり通っています。変化は何となくイヤということなのでしょうか。でも現実は、そんなことも言っていられないくらい、石川県の地元の産業には元気がなく,今後に向けた夢を語る論議もないありさまです。今や、かつての1等県の面影はありません。リーダーシップをとるべき県政がしっかり、日本の変化に対応した取り組みをしないからです。ここらで、県民一人ひとりが、もう、知事を変えなけりゃと思わないとね。県政の姿を変えて、面白い、パワフルな政治が行われ、将来に明るさが感じられれば、政治を見る目も変るでしょう。さあ、やりましょう。
|
|
2009-04-17 Fri 20:01
衆議院議員選挙、政権交代の可能性が高くなって、面白いし、日本にとっても大切な選択だと思う。でも大事なのは担い手たる本人だと思う。幹部の指示どおりに投票するチルドレン議員はいただけない。与党にも野党にも立派な人と問題の人がいる。政党再編で、実力組とマスコミ受けのみのチルドレン組に分けてやったら面白そう。
|
|
2009-03-22 Sun 00:29
何回か、選挙それも市長選や県議選に出て、つらくもあり、がっくりもするのは、一つには、政策政見より、家族区も含めた、あいさつ、お辞儀など、要は頭の低さが有権者の関心事であること、二つには、しがらみというか、縁者であるか否か、利害の有るなしなどが関心と関わりの有力な動機づけになっていることです。田舎だからしょうがないよと言われるけれども、本当にこれでいいのかなあ。自分には苦手なことがまことに多い。その結果なのに、石川県の政治家にはろくなものがいないなどという評論を平気でしているのを聞くと、つらさも、がっくり度も倍増する。それでも政策・政見を大切にしないとね。
|
|
2008-12-27 Sat 18:31
私は幼少のころから山をよく歩いてきました。とりわけ白山とその周辺の山は今も私の青春そのものです。南竜ヶ馬場の水辺でごろんとしたり、越前・加賀禅定道で歴史の道をしのんだり、鈴ヶ岳から大日に至る散歩道の散策、どこも楽しい思い出ばかりです。学生の時、2人の子供を連れて夏休みの自由研究を手伝ったり、小松の母子家庭の親子を案内したり、山岳会の仲間と小屋やテントで飲んだり。山は何より優しい、美しい舞台であり、歴史の物語と自然環境の素晴らしさに触れる場所だといつも思っています。近年は、白峰の三つ谷からの杉峠への道と旧越前禅定道の整備にボランティアとして頑張っています。
加賀の国はを白山中心とする山の恵みで国を支えてきました。はるかに白山連山を眺めた時、いつも、ほっとする私です。 |
|
2008-09-30 Tue 18:53
昭和22年 小松市の木場潟湖畔の木場町で、姉二人に続く長男として生まれる。(妹はその後東京で生まれる。)生家の屋号は又八、祖父栄松は信心深い人で、木場では中堅の純農家。この頃父母は大阪より疎開し、父は小松製作所にいた。後ほど東京に転勤。
昭和46年 東京大学法学部を卒業。地方のまちづくりをやる決心で、国家公務員を選び、自治省(現総務省)に入省。成績もたしか良かったはず。 その後岡山県、自治省財政局、青森県、大蔵省主計局などに勤務。沢山の法律をつくり、各省の仲間・先輩を知った。青森では、企画・開発に関わり、津軽新港の建設などに取り組んだ。 昭和58年 石川県庁へ 企画開発部長・商工労働部長・総務部長な、中西知事に重用され、県政の枢機に関わる。思い出深いのは、原発建設、のと鉄道の設立や、危機にあった県財政の再建。 平成元年 自治省へ戻ることに。国鉄清算事業団調査役、自治大臣官房企画官などをしていたが、待命の時期なのか、暇で、よく石川県に帰っていた。 平成2年 政治を志し、自治省を退職。石川県に戻り、知事選挙を目指すも、力不足で断念、中西知事を応援。これが、最初の挫折 平成3年 石川県参与に迎えられる。仕事は知事の相談相手だったが、暇を持て余す。 平成4年 生誕の地小松が沈滞していたので、小松市長選に立候補、当選。自らのリーダーシップでのまちづくりを目指す。 女性の登用、保母さんの元気づけや国際交流の人材つくりなど人の活性化に頑張る。 平成8年 小松市長選当選(2期目)。相手が共産党一人だったので、比較的楽な選挙だった。 平成9年 市長辞職。小松市長選にも無念にも落選。色々なミスが重なってのことだったが、平成3年と6年の知事選のしこりで、北を追い落とせという政治勢力に敗れた。自分としては、善政に自信があったので、最後は市民の支持が得られると思っていたが,小松にとっても私にとっても不幸なことだった。 平成10年 復権のため、石川県議会議員小松市選挙区補選に挑戦、落選 平成11年 石川県議会議員小松市選挙区で当選、久しぶりに公職に復帰、張り切って、13年の市長選を目指したが、情勢は思うようには好転せず、断念。期待してくれた市民に申し訳のないことになった。これ以降政治上は、不遇が続くことに。 平成15年 県議選、選挙運動には頑張ったが、県議一期の活動が不十分だったのか、市長選の経緯もあったのか、自分としては思わぬ落選。これには本当にがっくり。 平成17年 再び小松市長選を目指したが、期待した体制づくり選択の誤りで、大敗。落選。苦労が続く。 平成19年 またも復権をかけ、石川県議会議員選挙小松市選挙区に立候補。しかし、運動が時間的に足りなかったのか、落選。選挙情勢では惜しいチャンスだったのに悔やまれる。 2 住所 小松市白山町140−6(平成6年に買ったマンション) 金沢にも長坂台6−27に自宅あり。(平成3年県参与の頃買った家) 3 家族 妻(ゆかり)と二男(それぞれ県外で独立) 4 趣味 山登りと山のボランティア(山登りは40年以上。日本山岳会会員、白山杉峠道を守る会、 鈴ヶ岳を守る会、小松山岳協会に所属) 囲碁(4段)、歴史探訪、ゴルフ、カラオケ'(歌い始めて40年近く。キム・ヨンジャの歌が好 き)、社交ダンス(老後に備えて少々)、日曜大工 、好きな俳優 渡辺えり |
|
2008-09-30 Tue 14:46
1 小松市長として(平成4年から9年)
1元気な人づくり 小松市国際交流協会の設立・保育所ドリーム事業を通じた考えて、実践、実現する保母 (保育士)の育成・親子白山登山を通じた元気な母子家庭の育成・市役所における女性の 登用・曳山8基揃えの復活・どんどん祭りの改革、太鼓フェスティバルの発足など 2民間資金の活用 こまつ看護学校の創立・芦城公園での茶室玄庵の建設 3小松に人を集める施設の建設 こまつドーム・中ノ峠ミュージックラボ・瀬領せせらぎの里・尾小屋いろり塾、・市民ギャラリールフレ・西俣キャンプ場・安宅ビューテラスなど 4産業・商業の振興 百貨店大和の誘致・串工業団地の建設・小松駅前商店街での空き店舗の活用 5環境保全への取り組み 木場潟浄化への取り組み(大日川からの分水を木場潟へ導入)・今江食肉処分場の廃止 6公共事業と文化財保護の調和 小松天満宮の浮島方式による保全 7お年寄りと福祉のために 他の自治体に先駆けて市営の循環バスを運行・JAきららや老人保健施設の設立を支援・ 市民病院側にすこやかセンターを設立など 8まちづくりの骨格づくり 小松駅前の高架化、区画整理事業の推進、駅前文化施設の基本計画づくり 2 石川県職員として(昭和58年から平成元年) 1県の長期計画をつくり、また、県財政の運営と再建に尽力 2のと鉄道の設立、初代の取締役、一株株主になる。 3こまつカントリー(ゴルフ場)の設立 4能登原発の建設や七尾フィッシャーマンズワーフの建設に尽力 5フードピア金沢、金沢パーソンズスクールの発足をはじめ、各地の青年会議所などの地域の活動を積極的に応援 6多くの企業を再建、支援(商工労働部長として) 3 小松市長辞任以降(平成9年から最近まで) 1山岳会のメンバーとして、大日岳のかたくり小屋の建設に参画・鈴ヶ岳の出作り小屋、登山道整備に参画、最近では、旧白峰村の杉峠道の整備・越前禅定道の整備に参画、また、日本山岳会で、自然保護委員として、自然保護活動に努める(平成16年から19年まで) 2平成11年より、1期県議会議員を務める。 3東京の跡見学園女子大学で、講師として、地方自治論・地域開発論を講義(平成16年度) |
|
| きたちゃんねる |
|









